CosmicHeart Project     コスミックハート

講演会、著書、翻訳書のご紹介 

      

 

宇宙心

明窓出版
ISBN:4-89634-055-8
発行年月:2003年
本体価格:1200円

http://meisou.com



 

The Cosmic Heart (英書)

1st Books
ISBN:1-4140-0042-1
発行年月:2003年
本体価格:ペーパーバック版 US$ 14.50、 ハードカバー版 US$ 23.95

www.amazon.com



 

インド風まかせ

連合出版
ISBN:4897720354
発行年月:1984年
本体価格:1600円
付「アクエリアンエイジの黙示録によせて」オノ・ヨーコ
http://homepage1.nifty.com/rengo/

   



 

クリスタルチルドレン

ナチュラルスピリット
ドリーン・バーチュー著
ISBN:4-931449-43-3
発行年月:2004年
本体価格:1600円
http://www.naturalspirit.co.jp/



 

内なる子どもを癒す

誠信書房
チャールズ・ウィットフィールド著
ISBN:4-414-42912-9
発行年月:1997年
本体価格:2000円
http://www.seishinshobo.co.jp/



 

もちきれない荷物をかかえたあなたへ

アスクヒューマンケア
クラウディア・ブラック著
ISBN:4901030027
発行年月:1998年
本体価格:2100円
http://www.a-h-c.jp/



 

アジアの奥地へ

連合出版
ニコライ・レーリッヒ著
ISBN:4897720400, 419
発行年月:1995年
本体価格:各2200円

http://homepage1.nifty.com/rengo/


 


イルカとETと天使たち

明窓出版
ティモシー・ワイリー著
ISBN:4-89634-189-9
発行年月:2006年9月
本体価格:1,800円
http://meisou.com



 


天国の真実
<マシューブック 1>


ナチュラルスピリット
マシュー/ スザン・ワード著
ISBN:4-931449-91-3
発行年月:2006年10月
本体価格:2100円
http://www.naturalspirit.co.jp/

トウリーディング

ビオマガジン
KC ミラー著
ISBN:10: 4-904379-18-7
発行年月:2010年4月
本体価格:1400円
www.anemone.net/

 

 宇宙を乗りこなす喜び I

 ナチュラルスピリット
 シェラドン・ブライス著
  ISBN:
 発行年月:2011年5月
 本体価格:2,870円
 http://www.naturalspirit.co.jp


 読者の方々から

 美保子さん☆
  こんにちは、栃木のAです。

『宇宙心』の本が一昨日届きました。
読み始めた途端、涙が沢山、魂からこみ上げました。

流れるほどに心は透明になって行きました。
一気に読み終え、その後、心の中には暖かい光が灯されています。

私にできる事をする、そこしかありません。

本当に読むことが出来てよかったです。
美保子さんありがとうございました。

そして『宇宙を乗りこなす喜びT』は、不思議な位、少し読むと眠っている(笑)
それが昼間の殆どを夢の中、そして夜も、いつも以上の睡眠時間。
読むごとに、夢の中で、何か?調整?準備?をしているかのようです。
不思議です。

まだまだ受身でしたが、この原発にしても、これから来る変化にしても
自分の魂を燃やす、それがどういう事か?
私の出来ることを、する、そう言う意識になりました。

ありがとうございました!
   (Aさん、栃木県)

 

 

女一人、”耐えてアフリカ”の旅

「金の北米、女の南米、耐えてアフリカ、歴史のアジア、あってもなくてもヨーロッパ」―――これは世界の貧乏旅行者の間に伝わる“格言”である。
 1985年、アフリカ北東部―ナイロビからカイロまで−、陸路の一人旅は、言い伝え通り、耐えることの多い旅だった。


パート1


  「ジャンボ!(スワヒリ語のこんにちは)」

 真冬の東京から三十数時間。ナイロビのジョモ・ケニヤッタ空港に降り立つと、そこにはさわやかな初夏の風が吹いていた。友人のA一家がにこやかに出迎えてくれる。

 郊外にあるA家に向かう道中、ゆったりとした小径の両側には、青々とした椰子の木々がさわさわと揺れている。抜けるような紺碧の空。紫色の花々を枝の端までつけたジャカランダの並木が続く。百花繚乱と咲き競うブーゲンビリアの花垣の鮮やかなこと! 道々には、これまた思い思いの原色のレソ(腰布)をまとった黒い人々がゆっくりと行きかう。

 <本当にアフリカに来たんだ!>

 私は静かに興奮する。それにしても人々の何とゆったりしていることか! つい昨日までいた国のように駆け足で道を行く人など、一人もいない。みんなゆっくりと、のんびりと、まるで大地を呼吸するかのように過ぎていく。

「ポーレポーレ(ゆっくり、ゆっくり)、それがアフリカン・ウェイさ」と、友人のアブドルはいう。

 髪型もバラバラなら、着ているものも思いのまま。ある人がノースリーブのシャツに眩いばかりの黒い肌を輝かせているかと思えば、ある人はトックリのセーターにジャケットをはおっている。タンクトップをまとっただけのはつらつ娘がいるかと思えば、ぶ厚いオーバーコートを着込んだ青年もいる。ここではすべて「ハクナマタタ」(問題なし、大丈夫)なのだ。そういえばケニアの国家も「ハクナマタタ・ケニア」である。

 ナイロビは緯度でいえばまさしく赤道直下にあるが、海抜が千七百メートル以上もあるため、乾期、雨期ともにしのぎ易い。多くのアフリカ人にとって恵まれた高原都市ナイロビの名は、それぞれの思い入れに満ちた、憧れの都なのだ。
 A家は、ケニヤの主要部族のひとつ、キクユ族で、国では少数派のモスリム一家だ。

 「カリーブ!(ようこそ、いらっしゃい)」、図柄もアフリカらしい原色のレソをまとったA夫人が、初対面の私をニコニコと迎え入れてくれた。居間の壁にはモイ大統領の額入り写真がかけてある。四歳の娘、カティージャが、私のスワヒリ語の先生となった。

 夕食は、ケニヤの代表的主食、ウガリが供される。これはトウモロコシの粉を湯で練りながら火にかけて、水分がなくなるまでかき混ぜるだけの料理。巨大なすいとんのようでもある。この炭水化物の固まりのようなシロモノを大きな皿にドンと盛っては、みんなが手でちぎり、肉スープにひたして食べる。食事といえばウガリ、時にはウンザリしてしまう。

 道を歩けばしっとりと汗ばんでくるだが、あたりを吹き抜ける高原のそよ風が何ともいえず心地よい。そんな風に運ばれて、市内のバザールに足を向けた。
 ゾウやキリンのしっぽで作ったという腕輪を売りつける男が、これは本物だと証明せんばかりに、手元の見本にライターをつけ、焼いてみせる。髪の毛が焦げるような匂いがするので、客は本物だと信じてこれを買い求める。ところがどっこい、本物は見本だけで、大方は精巧なプラスチック製だ。焼いてみても、合成ビニールが放つ異臭しか匂ってこない。

 折りしも「スズーキ!」という声がかかり、私を知っている人なんかいたっけと思って振り向けば、何のことはない。日本人はみなスズキかホンダかトヨタなのだった。日本の経済力はスゴイ! 街なかを走る車の九割がたは日本車。ソニーが、トーシバが、パナソニックが・・・店先の人だかりに崇拝されている。
 民族衣装ともいうべき腰布のキコイ(男性用)やレソ(女性用)だって、「あら、ステキなデザイン。アフリカ的だわ・・・」などとうっかり褒めようものなら、「コレ、メイドインジャパン。ムズーリ・サーナ(実にすばらしい)!」などと逆に褒められてしまって往生する始末。

 帰り道、ナイロビでスワヒリ語学校を開いている星野芳樹氏を訪ねた。ナイロビ生活の長い星野さんは、ムゼー(長老の敬称)・ホシノと呼ばれる有名人。日本からのスワヒリ語研修生が、数人、広々とした中庭の木陰でスワヒリ語のレッスンをしている。ゆっかりとした昼下がりのひととき、ムゼーはエチオピア革命の話だの、最近の難民、飢餓情勢だのと、しばしば淡々と語ってくれた。

 夜ともなれば陽気な若者たちは、パブに繰り出す。賑やかにはしゃぐ声が夜更けまで聞こえる。ウイスキーは高いから、ちょっと庶民には手が出ない。若者はもっぱら安いビールで、ということになる。禁酒の掟があるはずのモスリムだって、がぶがぶ飲む。
 女性も臆せずおしゃれをして、酒場に繰り出す。アフリカの女たちは開放的で人なつっこく、情が深い。旅の男たちがついつい“沈没”してしまうのもうなづける。
 情熱的であっけらかんとした、いくつもの語らいのうちに、その夜もふけていった。


パート2  

  ナイロビから南へ約五百キロ、港町モンバサに伸びる幹線は、車が二台すれ違えば道幅いっぱいの、まっすぐな一本道だ。ナイロビから遠ざかり、標高が下がっていくにつれ、気温がジリジリ上がっていく。
  マサイ族やカンバ族が住むサバンナを、砂地を、密林をやり過ごして、バスはビュンビュン飛ばす。右手後方に望める山並みは、遠くタンザニアに連なっている。天気が良ければキリマンジャロの雄姿も眺められるという。
 バオバブの木、カポックの木、マサイ族の炭焼き小屋、見事なアリ塚・・・・・そんな風景が次々と車窓に展開する。

 夕方、バスはようやくモンバサに着いた。暑い。否、熱い! モンバサは、キリスト教徒が多数を占めるケニヤにあっては数少ないイスラムの街。インド洋に面した、古くから開けた港町だ。知人のジュマ家にたどり着く頃には、あちこちの家々に夕べの灯りがともり始めていた。
 連日、大変な暑さと湿気にみまわれ、夜はまさしく熱帯夜だ。蚊が多く、マラリア蚊もいるから、予防薬を欠かさず飲み続けて抗体を作っておかなくてはならない。

 ケニヤでは女性を尊敬をこめてママと呼ぶが、ジュマ家でも一番威張っているのはママだ。ジュマ家には友人のアブドルの姉夫婦と、その子供一人(他の子供たちはどういうわけか、他の家に住んでいる)、アブドル家の未婚の弟二人、それに姪が二人の合計七人が住んでいる。複雑な「拡大家族」は、オジ・オバ・オイ・メイなども家族としてみなされるなど、西欧の家族よりもはるかに幅広い縁者を含んでいる。

 ママは家族のみんなが仕事や学校に行った頃、大あくびをしながら起き出してくる。午後は、付き上がった大きな丸い尻をどっかと、床に敷いたマットレスに落ち着けて、ペペキオ(うちわ)でバタバタと風を送りながら、陽気なスワヒリ・ミュージックに聴き入っている。

 学校から子供たちが帰ってきた。三人の義姉妹は、いっしょにに縮れ毛をとかし合ったり、編み上げたりして遊ぶ。縮れ毛の“区分け”の仕方によって、髪型は毎日違うわけ。彼女たちは直毛の日本人が珍しいらしく、「ムズーリサーナ」(とてもステキ)」などといって、さらさらと私の髪をとかしたがる。
 夕方、子供たちが夕食の仕度に忙しい頃、ママはミラ(幻覚作用のある草の子茎)をクッチャクッチャと噛むのに忙しい。口を動かしながら、手も動く。「宵の香」を作っているのだ。

 安全ピンに芳香のあるアスミールの花のつぼみを、こんもりと五十から百くらい刺していく。このつぼみのぼんぼりは、家族それぞれのベッドの枕元にピンで留められる。夜が更けるにつれ、つぼみはひとつひとつ開いていき、やがて部屋じゅうに甘い花の香りを放つのだ。考えてみれば何という贅沢!

 あくる朝、黒いチャドルに身を包んだママと市場に出かけた。巨大な市場には豊富な野菜や果物が山積みされ、強烈な香りと色彩をあたりに放っている。その隙間をぬうように黒い人、人、人・・・がごった返す。威勢のいい客引きの声、かん高い女たちの声。圧倒されそうなエネルギッシュな空間-- 。
 マンゴーだのカサヴァだのをどっさり買い込んだバスケットを、器用にヒョイと頭上にのせて、ママはスタスタと歩き出した。

 モンバサの最後の夜、ジュマさんたちがパブに誘ってくれた。観光客も目立つ店内は、人々の熱気と汗の匂いでむせかえるようだ。
 あちこちに、テーブルにポツンと座って酒を飲む女がいる。整った美しい顔立ちをしたソマリア人の女。縮れ毛を色とりどりのビーズで編み分けた女。均整のとれた美しい黒い体をミニスカートに包んで、あたりに秋波を送りながらモンローウォークで店に入ってくる女たち・・・そのうち客がついてグラスを飲み干すと、いつの間にか二人は連れ立って闇の中に消えて行く。ハンガーボーイと呼ばれる、白人女相手の売春夫も、金持ちのオバサマたちの気を惹こうと懸命だ。熱い港町モンバサの夜は、そうやって更けていった。

 ナイロビに戻るバスで、ルオ族のアランという男と隣り合わせた。それからたいそう長い間、おしゃべりをすることになった。
 部族社会に根強く存続する一夫多妻制の例にもれず、アランには二人の妻がいるという。妻は四人までと決まっているモスリムどころではなく、ここでは経済力が許せば何人でも好きなだけ女をめとることができるのだ。

  どうやら私も彼のおめがねにかなったようで(!)、「牛を五十頭、山羊を四十頭、それに、貴金属と現金で・・・どうか」と話をもちかけられることになったが、「私は牛は要らないので・・・」と丁重に辞退した。彼らは妻を増やすことによって自分の財産を管理、増大できるのだから、何も前妻を離婚する必要もないのだ。妻たちは原則として仲良くやっていくという。大ていは同じ家、同じ拡大家族のブロックに住んでもいる。

 男の所有物になるなんて、いくら牛を五十頭もらってもイヤだ、と思っていると、女の方もヤリ手だ。夫以外の男の子供を身ごもってしまったりする。子供たちの父親が全部違うという女に会ったこともある。子供は夫婦のものというより、家族に、そして部族に属するという意識が強いからだろう。
 バスもナイロビに戻ってきた。「結婚してくれれば、週三日は通うのに・・・」と食い下がるアランとも別れて、私はいよいよトルカナの地へ向かう準備を整えた。

パート3  

 「クワヘリ・・・(さようなら)」

 知人らに見送られて、私は一人トルカナ地方に向かう夜行バスに乗り込んだ。トルカナの果てのロキチョキオ国境から、スーダン南部の町、ジュバに抜けたいのだが、そう言うと人々は例外なく押し黙ってしまう。
「やめた方がいいよ。内戦が悪化してるらしいから・・・」と付け加えてくれる人もいる。
 それでも行ってみたい。トルカナ行きは私の長年の夢だったのだ。

 バスは、夜通しキタレを目指してひた走る。夜半、あたりは次第に冷え込み、ケニヤ人たちは持参した毛布にすっぽりとくるまっている。時おり、バスの前照灯にキリンの群れが照らし出されて、急停車したりする。運転手の眠気覚ましのためか、夜半過ぎでもチャイ屋に止まる。ほとんど眠ることもできないでいるうちに、窓の外は白み始めた。

 バスは、まだ朝もやも晴れないうちにキタレに着いた。朝まだきの中に浮かび上がった高原の街は、しっとりと豊かな緑に包まれていた。
 トルカナの州都、ロドワー行きのワゴン(小型乗り合いバス)はすぐに見つかった。ケニヤ人の例にならって、甘ったるいチャイと、マンダジという揚げパンの朝食をとる。

 ワゴンは確かに出発はした。しかしあっちの市場にものを下ろし、こっちの家に小包を配り・・・して、いっこうに進まない。ワゴンには、首から胸もとにかけて幾重にもビーズの首飾りをぐるぐると付け、髪をカッパのように刈り上げたトルカナ族の女たちも乗っている。窮屈な車内は、現地人が持ち込む穀物袋だの、得たいの知れないブリキ缶だの、木材だの、プラスチック容器だのでいっそう窮屈になる。足を伸ばすこともできない。

 タンザニアのザンジバルからやって来たという、二十二歳の青年四人組とも乗り合わせた。彼らはどこか食べられる国に行こうと、青雲の志に燃えて国境を目指していた。
 キタレ周辺を過ぎると、バスは次第に、広大な植林のサバンナに入ってきた。キタレからロドワーまで約二五0キロ、今朝方の冷え込みなどウソのように、暑さがジリジリとぶり返していく。バスはひどく揺れる。汗がじっとり滲んでくる。あー、シンドイ。

 トルカナの女の垂れ下がった乳房を吸っていた赤ん坊が、ゲエゲエ吐き始めた。乗客は目をそらし、あるいは目をつぶって、ただじっとバスの揺れに身を任せていた。彼らはただ時がたつのを待つ他に仕様がないことを、よくよく承知しているかのようだ。
 途中、「めし屋」といった感じの村の食堂で休憩する。近くにはトルカナ族とポコト族の居住地域を分ける小さな川が流れている。ここで長いこと植林の仕事をしているというスェーデン人青年に会った。彼はこの二部族間にはレーディング(略奪行為)が絶えないのだと言う。牛や羊は「天下の回り物」だと思っている部族社会では、ひんぱんにいざこざが起こる。

 休憩後、うだるような暑さの長い長い午後、バスはひたすら北へ、アフリカの奥地へと分け進んでいく。窓の外には、見渡す限り広大なサバンナが続いている。砂地にまばらに潅木が生えているだけ。傘を広げた格好のアンブレラツリー、ソーンツリー(トゲの木)、サボテン・・・。あちこちに高さが二、三メートルもある見事なアリ塚が立っている。たまに部族の集落あたりを、黒い人たちあポーレポーレと歩いていく。

 暑さと乾きと疲れとで、次第に不快感がつのってくる。このバスは一体どこまで行くのだろう。しかしじっと耐えてバスの揺れに身を委ねるしかない。
<そうだ、ポーレポーレだ>と自分に言い聞かせる。

 砂漠に陽が落ちる頃、バスはようやく州都、ロドワーに着いた。ここはオアシスの街。タンザニア四人組らと、バス駅近くのロッジに向かう。これでやっとシャワーにありつけるかと思いきや、水は溜め水、電気もつかないと知ってがっかり。おまけに蚊はもちろん、やたらとハエが多い。

 ロッジの少年に頼むと、たらいに少しばかりの水をくれる。この地ではこの水で髪も、顔も、体も洗い、ついでに洗濯までするという特技を身につけないことには生きていけないのだ。これでもこれから目指すスーダン南部よりは数段いい、というのだから、あとは推して知るべしである。

 夜、オキチョキオ国境近くで働いているというオランダ人三人と、砂漠に上った三日月を眺めながらビールを飲んで過ごした。彼らもまた、スーダン行きには眉をひそめる。そもそもロキチョキオ行きのローリー(大型トラック)がいつつかまるのかさえ、誰にもわからない。この砂漠の街では、ひたすら「待つ」ことを学ばなくてはならないようだ。

 月光の下、砂をサクサクと踏んでロッジに帰る。蚊とハエと暑さで寝苦しいのに、よほど疲れているのか、ぐっすりと眠った。
  あくる朝、四人組の一人がどうやらローリーが来るらしいという情報を持って、私を起こしに来た。

 あとはローリーの待ち場で待つだけ。木陰に腰を下ろし、いつ来るともわからないローリーをじっと待って、とにかくひたすら待って過ごす。四人組はあわよくばヒッチハイクしようと、たまに通り過ぎるランドローバーなんかに親指を立てるが、砂塵に巻かれるばかりだ。うち一人はぐったりと木にもたれかかったまま動けない。マラリアだという。どうにも処置なしだ。

 ただ何時間も、じっと待つだけだ。それしかない。


パート4  

 やがてトルカナ族の老人や女たちも、木陰に集まってきた。彼らが身につけている魅惑的な装身具に大いに気をそそられても、決して写真は撮らせてくれない。カメラなど向けようものなら、石を投げられる。彼らは写真を撮られると魂の一部が吸い取られてしまい、体から力が抜け、死に至ることもあると、本気で信じている。部族に病人が出たりすると、部族らはきっと白人に写真を撮られたんだろうとささやき合うらしい。

 太陽が頭上に来た頃、ようやくロキチョキオ行きらしいローリーが現れた。私たちは喜び勇んで荷物を放り込む。
 ローリーは砂漠の中の一本道を、砂塵を巻き上げ、大揺れに揺れながら国境の街を目指して進んだ。途中、新たに乗り込んできたソマリア人のムゼーが、ビスケットやジュース、果てはイワシの缶詰まで振る舞ってくれる。

「サーワ?(どうだ、美味しいか?)」

「サワサワ(とても美味しい)」

ムゼーとの会話はもっぱらこればかりだ。それでも不思議と不自由は感じない。

 ローリーは索漠とした果てしないサバンナの大平原をひたすら分け進む。このまったく何もない、激しく、乾いた大地が、私には何故かとても懐かしい。八十年代初めから大干ばつに見舞われたこの地には、今なおその悲惨な爪跡を思わせるかのように、大木が立ち枯れ、ところどころ白骨化した動物の死骸が熱砂の上にころがっている。

 しばらく走ったところで、どうにも怪しかった空が本格的に雨を落とし始め、やがてバケツをひっくり返した滝のような雨がやってきた。ワイパーがフル稼働しても、何の役にもたたない。砂漠の真ん中で立ち往生するのは海で遭難するに等しいから、近くの村まで引き返すしかないようだった。

 来た道を引き返し、店屋の軒下で雨宿り。カーキ色の軍服に身を包み、中国製の銃を携えたケニヤ人兵士五、六人もそこにいた。駐屯地、カクマに行くらしい。ソマリア人のムゼーは、しばらくして雨が小降りになった頃、砂漠のスポンサーとなって、私たちにチャイを振る舞ってくれた。雨で冷えた体に、熱いチャイはこの上なく有難かった。

 さて、彼方の雨雲も去り、雨垂れが軒先からポッタン、ポッタン落ちる頃、ローリーは再度の出発をする。案の定、豪雨の後、道はすっかり消えてなくなってしまった。ローリーは大いに難儀することになった。道とおぼしき軌跡沿いに青や赤の置石がずうっと置いてあることの意味がいっぺんで理解できた。ローリーは、車体いっぱいに泥水の跳ね返りを受けながら、よたよたと進む。

 灼熱のサバンナも、今は雨でしっとりと潤い、風も涼しく心地よい。途中、ローリーが水溜りの中ほどにはまり込んでしまった。乗客は全員狩り出され、ズボンの裾をまくり、掛け声を合わせて車を押す羽目になった。

 「モジャ、ビリ、タトゥ・・・(一、二、三・・・)」汗を滲ませ、心をひとつにした努力の結果、ローリーはようやくぬかるみを脱することができた。

 夕闇もかなり押し迫った頃、ローリーはカクマという村落に着いた。ここには警察とめし屋があるだけで、泊まるところもない。だから交渉してポリスの裏庭に泊めてもらうことにした。弱冠二十三歳というムカンバ族の青年ポリスが、何かと親切に、簡易ベッドまで用意してくれた。

 若いポリスたちとしばしおしゃべりをして、国境情勢などを聞きだそうとするが、どうにもいい話は聞けない。先日もベルギー人が送り返されてきたという。おしゃべりといっても闇夜のこと、どこに誰がいるかなんてわからない。ミッションが建てたという病院だけがひときわ明るい。何人のミッションが建てたのかと聞けば、「どこの部族(トライブ)かは知らない」と言われた。

 野営のベッドにもぐりこんだけど、あんまり星が美しくて、眠くなるどころかだんだん目が冴えてくる。あたりは全き暗黒の世界。虫の音だけが騒々しいまでに聞こえてくる。満天の星にさまざまな思いを託し、いつの間にか大宇宙にいざなわれるようにして、私は眠りに落ちていった。

 翌朝、まだ暗いうちから目が覚めた。人々はもうザワザワと動き始めている。私は四人組と共にローリーに乗り込んで、今日こそ!という思いを胸に国境を目指す。

 日中はまた、あっという間に大変な暑さがぶり返す。途中休憩したところで、バイクでアフリカを旅している日本人男性に会った。話を聞けば、彼は国境で一週間ほど戦況を見計らった末、とうとう国境は越えたのだが、スーダン側がジュバまでの通行を止めているために、涙を呑んでまたケニヤ側に引き返したという。私と四人組は、国境を目前に控えて、泣く泣くキタレへ戻るトラックに乗り換えることになった。四人組の青雲の志はこうしてくじかれた。

 キタレへ戻るトラックの揺れることといったら、地獄の責め苦そのものだった。それでなくとも国境越えの夢がくじかれて意気消沈しているのに、振動がいちいち体じゅうの関節にひびく。やがて心臓まで痛み出し、息が苦しくなってきた。それにもうもうたる土埃が容赦なくトラックの荷台に吹き上がる。真上にはじかに照りつける強烈な太陽。黒人たちの縮れ毛は砂埃をかぶって真っ白け。まつ毛にも肩にも、払う後から砂埃が降り積もる。

 <耐えてアフリカ・・・>、私は心臓をおさえながら思う。

 


パート5  Coming Soon〜〜

 

 

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